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横浜地方裁判所 昭和31年(わ)189号 判決

本店

東京都港区芝新橋二丁目三十番地甘糟ビル

営業所

横浜市西区平沼町一丁目二十三番地

甘糟産業汽船株式会社

代表者代表取締役

甘糟豊太郎

本籍

大阪府南河内郡道明寺町大字道明寺五百四十三番地

住居

横浜市港北区菊名町七十五番地

会社員

細田重良

大正八年二月二十八日生

右両名に対する法人税法違反各被告事件について、当裁判所は検察官笠原力出席の上審理を遂げ次のとおり判決する。

主文

被告人甘糟産業汽船株式会社を罰金五百万円に、被告人細田重良を懲役六月に各処する。

但し、被告人細田重良に対し、この裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は、証人池田幸雄に対し昭和三十九年五月十二日支給した分を除き、全部被告人両名の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人甘糟産業汽船株式会社は横浜市西区平沼町一丁目二十三番地(昭和二十九年七月二十三日東京都港区芝新橋二丁目三十番地甘糟ビルに移転)に本店を置き、船舶の解体、解撤、救助並びに遭難貨物の取扱、海運業、保険代理業、漁業その他右各事業に関聯する一切の業務を営むことを目的とする株式会社であり、被告人細田重良は右被告人会社の社員で同会社の取締役会長甘糟浅五郎の腹心として同会社の販売、会計等の業務を担当していたものであるが、被告人細田重良は同会社大阪事務所所長取締役小林滝らと共謀の上、被告人会社の業務に関し、法人税を免れようと企て、昭和二十七年一月一日から同年十二月三十一日までの事業年度に於ける被告人会社の所得は金四千七百八十七万千六百円(端数計算法により百円未満切捨)であつたにもかかわらず、解体スクラツプ等の売上金を被告人会社の帳簿に記載せず、且つ決算から除外して右所得の一部を秘匿し、昭和二十八年二月二十八日所轄税務署である横浜市中区中税務署に対し、法人税の申告をなすに際し、右事業年度における被告人会社の所得は金三百七十九万四千二十八円、これに対する法人税額が金百五十九万三千四百八十円に過ぎない旨虚偽の法人税申告書を同税務署に提出し、よつて同事業年度の法人税金千八百五十一万二千五百九十円を免れ、もつて不正行為により法人税を逋脱したものである。

(証拠の標目)

一、第二回公判調書中被告人会社代表者甘糟豊太郎及び被告人細田重良の各供述記載

一、第五十六回ないし第五十九回公判調書中被告人細田重良の各供述記載

一、被告人細田重良の検察官に対する供述調書四通

一、被告人細田重良に対する大蔵事務官の昭和二十八年十一月二十八日付、同年十二月八日付、同月十日付、昭和二十九年一月十四日付、同年二月四日付、同年六月十七日付、同年十一月十七日付各質問顛末書

一、被告人細田重良に対する国税査察官の質問顛末書

一、被告人細田重良作成の昭和二十八年十二月二十六日付、昭和二十九年二月十日付、同月二十六日付各上申書

一、第六回公判調書中証人仲野寿恵弘、同根塚栄松、同山田勝彦、同佐藤武の各供述記載

一、第七回公判調書中証人柳沢甲子雄、同田中登の各供述記載

一、第八回公判調書中証人遠藤喜一、同石原久男の各供述記載

一、第九回公判調書中証人宇佐美清三、同須藤晃陽の各供述記載

一、第十回公判調書中証人遠田徳次郎、同木村徹、同宮沢照太郎の各供述記載

一、第十一回公判調書中証人開島義明、同荒川震三の各供述記載

一、第十二回公判調書中証人小林留次郎の供述記載

一、第十三回ないし第十五回、第十七回ないし第二十一回、第三十六回、第三十七回、第四十一回、第五十九回公判調書中証人片山松太郎の各供述記載

一、第二十二回ないし第二十五回、第二十九回ないし第三十二回、第四十五回、第五十四回、第五十五回公判調書中証人小林滝の各供述記載

一、第三十二回ないし第三十四回、第三十六回公判調書中証人岩崎鶴蔵の各供述記載

一、第三十五回公判調書中証人山本繁の供述記載

一、第四十回、第五十二回公判調書中証人池田幸雄の各供述記載

一、第四十六回、第四十七回公判調書中証人甘糟豊太郎の各供述記載

一、第四十八回ないし第五十一回公判調書中証人中島厚二の各供述記載

一、証人藤田政義、同谷内尾弥策、同酒井尚夫、同江原司、同浪川和夫、同田辺城太郎、同小林米一郎、同尾関精孝、同吉見房江、同高橋吉栄、同田丸貫一、同手塚正三(二通)、同入沢不二信、同清水五一郎、同木本喜代作、同森川一男、同中山舜吾、同須山竹男、同小森清三、同北村福治、同重見静夫、同藤井敬之、同久保芳助、同斗谷命久、同島田新吉、同小山光春、同原東吾、同吉永広瀬、同阪上正巳、同川西実、同広永義郎、同中野信雄、同渡辺栄、同中野豊、同浜田末一、同金岡勘四郎、同山本明、同中本徳一、同内藤政信、同利谷吉長、同布施田栄次郎、同高沢勝治、同吉永忠勇、同中島厚二(六通)に対する当裁判所の各尋問調書

一、佐藤武、浪川和夫、尾関精孝(但し、同人に対する国税査察官の質問顛末書と一体をなして証拠とする。)小森清三、川西実、北村福治、重見静夫、藤井敬之、水野岩男、斗谷命久(二通)、広永義郎、阪上正己、原東吾、小山光春、岡地広、金岡勘四郎、浜田末一、中野豊、内藤政信、中本徳一、新藤貞次郎、遠田徳次郎、開島義明、荒川震三、宮沢照太郎、小林留次郎、小林滝、片山松太郎(二通)、岩崎鶴蔵の検察官に対する各供述調書

一、遠田徳次郎、片山松太郎(昭和二十八年十一月二十七日付)、甘糟豊太郎、甘糟浅五郎に対する大蔵事務官の各質問顛末書

一、片山松太郎に対する国税査察官の昭和二十八年十二月十四日付質問顛末書

一、片山松太郎作成の昭和二十八年十二月三日付、昭和二十九年一月二十五日付二通、同年二月二日付二通、同年三月三日付六通、同月九日付七通、同月十五日付二通、同月十九日付、同月二十三日付二通、同年四月二十六日付、同月二十七日付、同年五月十日付二通の各上申書

一、片山松太郎、土志田ツヤ子、木村和子作成の昭和二十九年十月二十一日付上申書、(但し、一枚目裏面十行目の当時における当社との取引云々以下二枚目表面三行目までの記載を除く。)

一、片山松太郎、岩崎鶴蔵作成の昭和二十九年四月十九日付、同年五月十日付各上申書

一、小林滝作成の昭和二十八年十一月三十日付(但し、大阪事務所の別口売上の記載を除く。)、同年十二月十一日付、同月二十六日付(但し、肩書の取締役及び当社の大阪事務所の取引の記載を除く。)、昭和二十九年二月十五日付、同年三月四日付、同月二十三日付、同年五月十日付(但し、大阪事務所の項と各表の標題の記載を除く。)、各上申書

一、甘糟豊太郎作成の提出書(添付の定款、株主名簿、登記簿謄本を含む。)

一、甘糟豊太郎作成の証明願

一、仲野寿恵弘作成の上申書二通(但し、いずれも別名義の記載を除く)

一、山田勝彦作成の上申書(但し、本文三行目「尚田手商店以下本文末尾までの記載を除く。)

一、田中登作成の上申書

一、谷内尾弥策作成の上申書添付の帳簿の写

一、江原司作成の昭和二十八年十二月七日付上申書添付の仕入明細書、同人作成の昭和二十九年一月十二日付上申書添付の作業日報の写及び同人作成の同年二月十三日付上申書添付の作業日報、支払明細書

一、酒井尚夫作成の上申書添付の支払明細書

一、藤田政義作成の上申書添付の帳簿の写

一、浪川淳二作成の上申書添付の帳簿の写

一、尾関精孝に対する国税査察官の質問顛末書添付の帳簿の写

一、田辺城太郎作成の上申書

一、田丸貫一作成の上申書添付の金銭出納帳及び仕入補助簿の写

一、染谷房江作成の申述書添付の入庫伝票三枚

一、清水五一郎の大蔵事務官に対する供述調書添付の仕入帳の写

一、中山舜吾作成の上申書添付の帳簿の写

一、和久正外一名作成の上申書三通

一、手塚正三作成の帳簿の写四通

一、木村徹作成の上申書

一、宮沢照太郎作成の上申書添付の支払明細書、買掛帳、買原簿の各写

一、塩飽漁業協同組合連合会の会議録写真

一、亀崎浦吉作成の上申書

一、神奈川税務署長作成の証明書

一、株式会社三菱銀行横浜駅前支店作成の残高証明書五通

一、株式会社横浜興信銀行戸部支店作成の預金残高証明書

一、株式会社三菱銀行大森支店作成の証と題する書面

一、株式会社第一銀行横浜駅前支店作成の残高証明書二通

一、三井信託銀行株式会社本店営業部作成の残高証明書

一、株式会社大和銀行横浜支店作成の残高証明書二通

一、株式会社横浜興信銀行妙蓮寺支店作成の預金残高証明書

一、押収してある領収書綴一冊(昭和三十一年押第四九八号の一)、請求書綴一冊(同号の二)、原材料資材受払簿一冊(同号の三)、請求書二枚(同号の四)、領収書三枚(同号の五)、領収証八枚(同号の六)、領収書十枚(同号の八)、メモ一枚(同号の一〇)、封書一通(同号の一一)、買掛金帳一冊(同号の一五)、支払手形一枚(同号の一六)、振替伝票一枚(同号の一七(、引合書三十八枚(同号の一九)、領収証一枚(同号の二一)、領収証一枚(同号の二二)、仕入元帳一枚(同号の二四)、領収書一枚(同号の二五)、当座小切手帳控一冊(同号の二六)、物品伝票一冊(同号の二七)、領収書四枚(同号の二八)、領収書一枚(同号の二九)、請求書一枚(同号の三〇)、仕切書一枚(同号の三一)、領収書一枚(同号の三二)、名刺一枚(同号の三三)、請求書領収書綴一冊(同号の三四)、預ケ金元帳一冊(同号の三五)、買入伝票綴一冊(同号の三六)、小切手帳控三冊(同号の四〇)、領収書及び請求書八枚(同号の四三)、領収書及び請求書四枚(同号の四六)、領収証一枚(同号の四七)、納付証一枚(同号の四九)、昭和二十七年度総勘定元帳二の内一の一冊(同号の五〇)、同年度総勘定元帳二の内二の一冊(同号の五一)、同年度諸勘定元帳四の内一の一冊(同号の五二)、同年度諸勘定元帳四の内二の一冊、(同号の五三)、同年度諸勘定元帳四の内三の一冊(同号の五四)、同年度諸勘定元帳四の内四の一冊(同号の五五)、同年度作業費元帳三の内一の一冊(同号の五六)、同年度作業費元帳三の内二の一冊(同号の五七)、同年度作業費元帳三の内三の一冊(同号の五八)、同年度船舶経費明細帳一冊(同号の五九)、同年度営業費明細帳一冊(同号の六〇)、同年度工事別収支明細帳一冊(同号の六一)、同年度仕訳帳一冊(同号の六二)、同年度未払金元帳一冊(同号の六三)、同年度現金出納帳一冊(同号の六四)、同年度銀行出納帳一冊(同号の六五)、同年度金銭出納得意先帳帳一冊(同号の六六)、得意先帳四冊(同号の六七ないし七〇)、請求書控一冊(同号の七一)、木村三郎名義普通預金通帳一冊(同号の七三)、手帳三冊(同号の七四)、取引関係メモ一綴(同号の七五)、雑書類三束(同号の七六)、決算書類一冊(同号の七七)、印鑑十七個(同号の七八)、得意先帳一冊(同号の七九)、雑記帳三冊(同号の八〇)、法人税額申告書決算書及び決議書綴三冊(同号の八二ないし八四)、(犯則所得の認定について)

一、売上計上洩(金九千四百五十七万二千四百二十一円)

(一)  前記第六回公判調書中証人仲野寿恵弘の供述記載(記録一冊一三六丁以下)、同根塚栄松の供述記載(同一六三一以下)、片山松太郎作成の昭和二十九年三月九日付上申書(記録六冊二、七二六丁以下)仲野寿恵弘作成の上申書二通(記録一冊二四五丁、二四七丁、但しいずれも別名義の記載を除く。)、押収してある領収書綴一冊昭和三十一年押第四九八号の一)、請求書綴一冊(同号の二)、(以上青柳鋼材興業株式会社関係)、当裁判所の証人斗谷命久に対する尋問調書(記録三冊一、二〇二丁以下)、同広永義郎に対する尋問調書(同一、五二二丁以下)片山松太郎作成の昭和二十九年三月九日付上申書二通(記録八冊二、八一七丁、二、八一八丁)斗谷命久の検察官に対する供述調書二通(記録四冊二、一一九丁以下)、(以上臨港製鉄株式会社関係)、第六回公判調書中証人山田勝彦の供述記載(記録一冊一八八丁以下)、同佐藤武の供述記載(同二一〇丁以下)、第七回公判調書中証人柳沢甲子雄の供述記載(同二六七丁以下)、佐藤武の検察官に対する供述調書(同二六〇丁以下)、山田勝彦作成の上申書(同三五八丁以下但し、本文三行目の尚田手商店以下本文末尾までの記載を除く。)、押収してある原材料資材受払簿一冊(前同号の三)、請求書二枚(同号の四)、領収書三枚(同号の五)、(以上東北電化工業株式会社関係)、第七回公判調書中証人田中登の供述記載(記録一冊三二六丁以下)、田中登作成の上申書(同三六七丁以下)、(以上株式会社清水精工所関係)、当裁判所の証人酒井尚夫に対する尋問調書(記録二冊四七〇丁以下)、同江原司に対する尋問調書(同四九五丁以下)、江原司作成の昭和二十八年十二月七日付上申書添付の仕入明細書(記録四冊二、〇〇九丁)、同人作成の昭和二十九年一月十二日付上申書添付の作業日報の写(同二、〇一三丁)、同人作成の同年二月十三日付上申書添付の支払明細書、作業日報の写(同二、〇一五丁以下)、酒井尚夫作成の上申書添付の支払明細書(同二、〇一一丁)、押収してある領収書十通(前同号の八)、メモ一枚(同号の一〇)、封書一通(同号の一一)、(以上株式会社内田商店関係)、当裁判所の証人谷内尾弥策に対する尋問調書(記録二冊四三五丁以下)、同人作成の上申書添付の帳簿の写(記録四冊一、九九四丁)、押収してある領収書八枚(前同号の六)、(以上在原商事株式会社関係)、当裁判所の証人藤田政義に対する尋問調書(記録二冊三八六丁以下)、同浪川和夫に対する尋問調書(同五六二丁以下)、浪川和夫の検察官に対する供述調書(記録四冊二、〇三六丁以下)、藤田政義作成の上申書添付の帳簿の写(同二、〇二六丁以下)(以上藤田商事株式会社関係)、当裁判所の証人田辺城太郎に対する尋問調書(記録二冊六一〇丁以下)、同小林米一郎に対する尋問調書(同六三三丁以下)、同尾関精孝に対する尋問調書(同六六〇丁以下)、尾関精孝の検察官に対する供述調書(記録四冊二、〇四七以下)、田辺城太郎作成の上申書(同二、〇四二丁)、尾関精孝に対する国税査察官の質問顛末書添付の帳簿の写(同二、〇五二丁以下)、押収してある買掛金帳一冊(前同号の一五)、支払手形一通(同号の一六)、振替伝票一通(同号の一七)、引合書三十八枚(同号の一九)、(以上株式会社尾関商店関係、第九回公判調書中証人宇佐美清三の供述記載(記録五冊二、一九二丁以下)、押収してある預ケ金元帳一冊(前同号の三五)、買入伝票綴一冊(同号の三六)、(以上横浜金属工業株式会社関係)、当裁判所の証人高橋吉栄に対する尋問調書(記録二冊七二七丁以下)、押収してある領収証一枚)、(前同号の二一)、領収証一枚(同号の二二)、仕入元帳一枚(同号の二四)、(以上東圧興業株式会社関係。)、当裁判所の証人吉見房江に対する尋問調書(記録二冊七〇八丁以下)、同木本喜代作に対する尋問調書(同九〇八丁以下)、同高沢勝治に対する尋問調書(記録四冊一、八九六丁以下)、染谷房江作成の申述書添付の入庫伝票三枚(同二、〇七八丁以下)、押収してある領収書四枚(前同号の二八)、(以上木本金属株式会社関係)、当裁判所の証人田丸貫一に対する尋問調書(記録二冊七六三丁以下)、同人作成の上申書添付の金銭出納簿及び仕入補助簿の写(記録四冊二、〇六六丁以下)、押収してある領収書一枚、(前同号の二五)、当座小切手帳控一冊(同号の二六)、物品伝票一冊(同号の二七)、(以上田丸金属株式会社関係)、当裁判所の証人手塚正三に対する尋問調書二通(記録二冊八〇四丁以下、八六四丁以下)、同入沢不二信に対する尋問調書(同八二七丁以下)、手塚正三作成の帳簿の写四通(記録四冊二、一七五丁以下)、(以上株式会社池貝鉄工所関係)、当裁判所の証人清水五一郎に対する尋問調書(記録二冊八七六丁以下)、同須山竹男に対する尋問調書(同九九九丁以下)、清水五一郎に対する大蔵事務官の質問顛末書添付の仕入帳の写(記録四冊二、〇八二丁)、(以上株式会社清水商店関係)、第十回公判調書中証人遠田徳次郎の供述記載(記録五冊二、二四〇丁以下)、同人の検察官に対する供述調書(同二、三一五丁以下)、同人に対する大蔵事務官の質問顛末書(同二、三一三丁以下)、押収してある小切手帳控三冊(前同号の四〇)、(以上株式会社遠田商店関係)、当裁判所の証人利谷吉長に対する尋問調書(記録四冊一、八〇〇丁以下)、和久正他一名作成の上申書三通(同二、〇九〇丁以下)、(以上利谷金属株式会社関係)、当裁判所の証人布施田栄次に対する尋問調書(記録四冊一、八六一丁以下)(以上千代田商事関係)、第八回公判調書中証人石原久男の供述記載(記録四冊一、九七八丁以下)、押収してある請求書、領収書綴一冊(前同号の三四)(以上株式会社石原製鋼所関係)、第十回公判調書中証人宮沢照太郎の供述記載(記録五冊二、二六九丁以下)、第十一回公判調書中証人荒川震三の供述記載(同二、四九一丁以下)、宮沢照太郎、荒川震三の検察官に対する各供述調書(同二、五四八丁以下)、宮沢照太郎作成の上申書添付の支払明細書、買掛帳、買原簿の各写(同二、五二一丁以下)、押収してある領収書及び請求書八通(前同号の四三)、領収書及び請求書四通(同号の四六)、領収書一枚(同号の四七)、(以上三星金属株式会社関係)、当裁判所の証人森川一男に対する尋問調書(記録二冊九五六丁以下)、同中山舜吾に対する尋問調書(同九八一丁以下)、中山舜吾作成の上申書添付の帳簿の写(記録四冊二、〇八三丁以下)、押収してある領収書一枚(前同号の二九)、請求書一枚(前同号の三〇)、(以上株式会社東京螺子製作所―日東製鋼―関係)、第八回公判調書中証人遠藤喜一の供述記載(記録四冊一、九五八丁以下)、押収してある仕切書一枚(前同号の三一)、領収書一枚(同号の三二)名刺一枚(同号の三三)、(以上株式会社鈴恭商店関係)、第十三回公判調書中証人片山松太郎の供述記載(記録六冊二、六三六丁以下)、当裁判所の証人中島厚二に対する尋問調書(昭和三十六年十月十三日実施のもの、記録九冊四、一九三丁以下)第五十七回、第五十八回公判調書中被告人細田重良の各供述記載(記録十三冊六、〇〇九丁、六〇五〇丁以下)、同被告人の検察官に対する昭和三十年十二月十三日付、昭和三十一年二月二十七日付各供述調書(記録十四冊六、五五九丁、六、五七一丁以下)、同被告人に対する大蔵事務官の昭和二十八年十二月八日付(記録十一冊五、三七六以下)、同月十日付(同五、三八〇丁以下)、昭和二十九年一月四日付(同五、三八三丁以下)各質問顛末書、同被告人作成の昭和二十九年二月十日付、同月二十六日付各上申書(同五、三八七丁以下及び五、三九四丁以下)片山松太郎、土志田ツヤ子、木村和子作成の昭和二十九年十月二十一日付上申書(記録八冊三、五八三丁以下)片山松太郎作成の同年四月二十七日付上申書(記録十冊四、六二一丁以下)株式会社三菱銀行横浜駅前支店作成の残高証明書五通(記録八冊三、五一六丁以下)、株式会社横浜興信銀行戸部支店作成の預金残高証明書(同三、五二一丁)、右三菱銀行大森支店作成の証と題する書面(同三、五二二丁)、株式会社第一銀行横浜駅前支店作成の残高証明書二通(同三、五二三丁、三、五二四丁)、三井信託銀行株式会社本店営業部作成の残高証明書(同三、五二五丁)、株式会社大和銀行横浜支店作成の残高証明書二通(同三、五二六丁)、右横浜興信銀行妙蓮寺支店作成の預金残高証明書(同三、五二八丁)、押収してある総勘定元帳二冊(前同号の五〇・五一)諸勘定元帳二冊(同号の五二・五五)仕訳帳一冊(同号の六二)得意先帳四冊(同号の六七ないし七〇)を総合すれば、被告人会社の営業並びに会計担当者である被告人細田重良は昭和二十七年中に架空の興津商店、近藤商店、松本商店、山田商店、山口商店等の名義をもつて非鉄金属、鉄屑類等を別表第一の1ないし21・23ないし27・29ないし34・36の各会社及び個人商店にそれぞれ売却したが、被告人会社の正規の帳簿に全然記載せず、大学ノートを使用した得意先帳四冊(前同号の六七ないし七〇)に記載し(何らの記載をざるものもある)その売上金の大部分を後記(二)の(1)記載のように、昭和二十六年頃から設定していた架空名義の株式会社三菱銀行横浜駅前支店高橋勇次、興津富次の各口座及び株式会社三菱銀行大森支店尾上豊子、株式会社横浜興信銀行妙蓮寺支店清水つるの名義を利用した各口座並びに新たに設定した架空名義の株式会社三菱銀行横浜駅前支店木村三郎、関一、中村定雄の各口座、株式会社大和銀行横浜支店浜野万吉、木村義雄の各口座の普通預金にそれぞれ預金し、更に右預金から定期預金(以上各預金を以下裏預金という)していたことが認められる。次に当裁判所の証人阪上正己に対する尋問調書(記録三冊一、四三六丁以下)、阪上正己の検察官に対する供述調書(記録四冊二、一三八丁以下)(以上阪上商店関係)、当裁判所の証人小森清三に対する尋問調書(記録三冊一、〇七九丁以下)、小森清三の検察官に対する供述調書(記録四冊二、〇九九丁以下)(以上小森商店関係)、当裁判所の証人川西実に対する尋問調書(記録三冊一、四七八丁以下)川西実の検察官に対する供述調書(記録四冊二、一〇四丁以下)、(以上川西商店関係)、当裁判所の証人北村福治に対する尋問調書(記録三冊一、一一一丁以下)北村福治の検察官に対する供述調書(記録四冊二、一〇七丁以下)、(以上北村商店関係)、当裁判所の証人藤井敬之に対する尋問調書(記録三冊一、一六三丁以下)、(以上久保田鉄工関係)、当裁判所の証人中原厚二に対する尋問調書(昭和三十六年十月十三日実施のもの、記録九冊四、一九三丁以下)、第二十二回公判調書中証人小林滝の供述記載(記録七冊三、〇七五丁以下)、小林滝の検察官に対する供述調書(同三、三九九丁以下)、小林滝作成の昭和二十八年十一月三十日付上申書(同三、三五五丁以下)、同人作成の同年十二月二十六日付上申書(同三、三五八丁以下)、押収してある総勘定元帳二冊(前同号の五〇・五一)、諸勘定元帳二冊(同号の五二・五五)、仕訳帳一冊(同号の六二)、手帳三冊(同号の七四)を総合すれば、被告人会社の大阪事務所責任者である小林滝は昭和二十七年中に非鉄金属、鉄屑類等を別表第一の40ないし49のとおり各商店にそれぞれ売却したがその売上をいずれも被告人会社の正規の帳簿に記載せず、手帳三冊(前同号の七四)に記載した上現金で保管していたことが認められる。又亀崎浦吉作成の上申書(記録八冊三、八七六丁、亀崎鉄工所関係)、片山松太郎、土志田ツヤ子、木村和子作成の昭和二十九年十月二十一日付上申書(記録八冊三、五八三丁以下)、片山松太郎作成の昭和二十九年二月二日付上申書(記録十冊四、六五二丁以下)押収してある総勘定元帳二冊(前同号の五〇・五一)、諸勘定元帳二冊(同号の五二・五五)、仕訳帳一冊(同号の六二)を総合すれば、昭和二十七年中に別表第一の22・35・37ないし39の売上が被告人会社の正規の帳簿に記載されずその大部分が、架空名義の株式会社三菱銀行横浜駅前支店における中村定雄、高橋勇次等の口座に普通預金として振込まれていることが認められる。第十回公判調書中証人木村徹の供述記載(記録五冊二、二五八丁以下)、木村徹作成の上申書(同二、三一八丁以下)、押収してある総勘定元帳二冊(前同号の五〇・五一)諸勘定元帳二冊(同号の五二・五五)、仕訳帳一冊(同号の六二)雑書類三束(同号の七六)によれば、昭和二十七年十二月二十八日別表第一の28のとおり木村金属工業株式会社に対する亜鉛流等の売上が被告人会社の正規の帳簿に記載されていないことが認められる。

(二)  被告人及び弁護人らは前記売上はいずれも被告人会社所有の非鉄金属、鉄屑類等を売却したものではなく、甘糟浅五郎個人が戦前から所有し、或いは戦後取得した非鉄金属或いは鉄屑類等(以下旧商品という)を売却したものであり、従つて右売上は被告人会社の所得となるいわれはなく、又右売上金を基本とした前記各預金も被告人会社のものではない旨主張して居り、この点が本件における最も重要な争点をなしているのでこれについて判断する。

(1) 第二十二回公判調書中証人小林滝の供述記載(記録七冊三、〇七五丁以下)、同人の検察官に対する供述調書、(同三、三九九丁以下)、片山松太郎、土志田ツヤ子、木村和子作成の昭和二十九年十月二十一日付上申書(記録八冊三、五八三丁以下)、被告人細田重良に対する大蔵事務官の昭和二十八年十二月八日付質問顛末書(記録十一冊五、三七六丁以下)及び同月十日付質問顛末書(同五、三八〇丁以下)、押収してある得意先帳四冊(前同号の六七ないし七〇)を総合すれば、被告人会社は解体用外国船の輸入を計画し、その購入資金を銀行から借入れるに当り、その担保に供する目的で、被告人細田重良及び小林滝らは相謀り、昭和二十六年頃から前記一の(一)記載のように帳簿外の売上げを始め、その売上金を前記架空名義の株式会社三菱銀行横浜駅前支店高橋勇次、興津冨次の各口座及び株式会社三菱銀行大森支店尾上豊子、株式会社横浜興信銀行妙蓮寺支店清水つるの名義を利用した各口座の普通預金に振込んでいた外架空名義の株式会社第一銀行横浜駅前支店興津三郎、清水幹夫、株式会社横浜興信銀行戸部支店高橋二郎の各口座及び株式会社三菱銀行横浜駅前支店甘糟浅五郎、三井信託銀行株式会社本店清水つるの名義を利用した各口座の普通預金に振込み、或いは株式会社三菱銀行大森支店尾上豊子の名義を利用した日の出定期預金、架空名義の同銀行横浜駅前支店高橋勇次名義の日の出定期預金等(以上各預金も以下裏預金という)を設定していたこと並びに右預金から数千万円を被告人会社大阪事務所の取引銀行である株式会社三和銀行梅田支店に送金し無記名預金(以下これを大阪事務所裏預金という)にしていたことが認められる。

(2) 第四十五回公判調書中証人小林滝の供述記載(記録十一冊五、一一七丁以下)、第五十七回公判調書中被告人細田重良の供述記載(記録十三冊六、〇〇九丁以下)、同被告人作成の昭和二十九年二月十日付上申書(記録十一冊五、三八七丁以下)、押収してある諸勘定元帳二冊(前同号の五二・五五)、得意先帳四冊(同号の六七ないし七〇)、手帳三冊(同号の七四)によれば、被告人細田重良がいわゆる旧商品の売上を記載していたと称する得意先帳四冊(同号の六七ないし七〇)及び小林滝が同じく旧商品の売上を記載していたと称する手帳三冊(同号の七四)には、被告人らが主帳するところのいわゆる旧商品のみならず、被告人会社所有の非鉄金属、鉄屑類等の売上をも記載されていること、いわゆる旧商品の取引先には被告人会社の正規の帳簿に記載のある被告人会社の取引先である青柳鋼材興業株式会社、臨港製鉄株式会社、同和興業株式会社、土井商店、株式会社清水精工所、日大製鋼所、川西商店、株式会社清水商店、株式会社石原製鋼所、小森商店、共立工業等が含まれて居て、いわゆる旧商品は被告人会社が取扱つている商品と殆んど同一であることが認められる

(3) 前記一の(一)認定のとおり、本件取引は被告人細田重良及び小林滝がいずれも被告人会社以外の架空名義で取引していたものであるが、第八回公判調書中証人石原久男の供述記載(記録四冊一、九七八丁以下)、第十回公判調書中証人遠田徳次郎の供述記載(記録五冊二、二四五丁以下)、証人宮沢照太郎の供述記載(同二、二六九丁以下)、第四十三回公判調書中証人深沢森秋の供述記載(記録十冊四、九一八丁以下)、当裁判所の証人川西実に対する尋問調書(記録三冊一、四七八丁以下)、同小森清三に対する尋問調書(同一、〇七九丁以下)、同北村福治に対する尋問調書(同一、一一一丁以下)、同斗谷命久に対する尋問調書(同一、〇〇二丁以下)、同入沢不二信に対する尋問調書(記録二冊八二七丁以下)、同尾関精孝に対する尋問調書(同六六〇丁以下)、同須山竹男に対する尋問調書(同九九九丁以下)、同利谷吉長に対する尋問調書(記録四冊一、八〇〇丁以下)、斗谷命久の検察官に対する昭和三十一年六月一日付供述調書(同二、一二二丁以下)、藤田政義作成の上申書添付帳簿の写(同二、〇二六丁以下)を総合すれば、被告人細田重良或いは小林滝と取引をした川西商店、利谷金属株式会社、株式会社石原製鋼所、株式会社遠田商店、小森商店、北村商店、三星金属株式会社、臨港製鉄株式会社、株式会社尾関商店、株式会社清水商店らの取引担当者らはいずれも本件取引の際、取引物件が被告人会社のものか或いは甘糟浅五郎個人(旧商品)のものか確認することもなく取引をしたものであつて、小森商店、臨港製鉄株式会社においては、当然被告人会社との取引であると考え、帳簿上も被告人会社名義で整理し、株式会社池貝鉄工所の取引担当者は被告人会社との取引であるが、架空名義にするのは税金の関係上そのようにするのだと考えていたこと又藤田商事株式会社においては右のような架空名義の取引につき帳簿備考欄に「直接甘糟産業殿依り受領す」と記載していたこと等が認められる。

(4) 第二十二回公判調書中証人小林滝の供述記載(記録七冊三、〇七四丁以下)、第二十五回公判調書中同証人の供述記載(同三、二二八丁以下)によれば被告人会社の解体現場は大阪市大正区船町に存在したことが認められ、従つて右解体現場に存在する解体物は被告人会社の所有と認められるところ、当裁判所の証人北村福治に対する尋問調書(記録三冊一、一一一丁以下)、同小森清三に対する尋問調書(同一、〇七九丁以下)、同斗谷命久に対する尋問調書(同一、二〇二丁以下)、同広永義郎に対する尋問調書(同一、五二二丁以下)、押収してある得意先帳四冊(前同号の六七ないし七〇)、手帳三冊(同号の七四)によれば、被告人細田重良及び小林滝は前記一の(一)記載の臨港製鉄株式会社に対する売上の大部分が右船町解体現場の解体物を売却したものであり、同じく小森商店、北村商店に対する売上の一部が同現場の解体物を売却したものであるにかかわらず、いずれも被告人会社の正規の帳簿に記載せず、得意先帳(前同号の六七ないし七〇)、手帳三冊(同号の七四)に記載していたことが認められる。

(5) 第六回公判調書中証人佐藤武の供述記載(記録一冊二一三丁以下)、第十三回公判調書中証人片山松太郎の供述記載(記録六冊二、六三六丁以下)第十四回公判調書中同証人の供述記載(同二、六八四丁以下)第二十一回公判調書中同証人の供述記載(同三、〇三〇丁の二以下)、小林滝作成の昭和二十九年三月二十三日付上申書(記録七冊三、三四九丁以下)片山松太郎作成の同月九日付上申書(同二、七二八丁以下)、片山松太郎、土志田ツヤ子、木村和子作成の同年十月二十一日付上申書(記録八冊三、五八三丁以下)、当裁判所の検証調書(昭和三十九年九月十八日実施のもの、記録十二冊五、八〇九丁以下)、押収してある原材料資材受払簿(前同号の三)、作業経費元帳(同号の五七)、工事別収支明細帳(同号の六一)、仕訳帳(同号の六二)、銀行出納帳一冊(同号の六五)、金銭出納得意先帳(同号の六六)を総合すれば、被告人会社は昭和二十七年十月解体船としてヴインセント号を購入したが、その代金の内金二千百八十二万九百六十八円を前記裏預金から支払つていること、右ヴインセント号の解体物は被告人会社の所有であると認められるに拘らず被告人細田重良は、右解体物の一部を架空の山田商店、田手商店等の名義で東北電化工業株式会社に売却して、被告人会社の帳簿に記載せず、その代金を裏預金である株式会社三菱銀行横浜駅前支店の木村三郎等の口座に預金していること等が認められる。

(6) 第十四回公判調書中証人片山松太郎の供述記載(記録六冊二、六八四丁以下)、当裁判所の証人中島厚二に対する尋問調書(昭和三十六年十月十四日実施のもの、記録九冊四、二九六丁以下)、片山松太郎作成の昭和二十九年四月二十七日付上申書(記録十冊四、六二一丁以下)、同人作成の同年三月三日付上申書(記録六冊二、八一五丁以下)、片山松太郎、土志田ツヤ子、木村和子作成の同年十月二十一日付上申書(記録八冊三、五八三丁以下)、押収してある木村三郎名義の預金通帳一冊(前同号の七三)、銀行出納帳一冊(同号の六五)を総合すれば、被告人会社は昭和二十七年九月二十五日米海軍横須賀第三九二三部隊(横須賀基地)において施行された鉄屑約千瓲の公売入札に会社名義で参加落札し、同年十二月二十九日その代金の一部三百六十万円を被告人会社の千代田銀行横浜駅前支店の口座より支払つているが、右支払については、同口座より日本サルベージに金二百万円、共栄火災保険に金百万円、吉兼才次郎に金六十万円を支払つたように架空の記載をしていることが認められ、更に右のとおり被告人会社は自らの名義で落札し、代金の一部を支払つている関係上右鉄屑は被告人会社がその所有権を取得したものであるに拘らず、残余の代金は前記架空の三菱銀行横浜駅前支店木村三郎名義の裏預金(記録八冊三、六五〇丁)から支払をなし又、右鉄屑を架空の山田商店、山口商店等の名義で千代田商事株式会社、同和興業株式会社、三星金属株式会社等に売却して被告人会社の帳簿に記載せず、その代金を前記架空の木村三郎名義の裏預金(記録八冊三、六五四丁)に入金していることが認められる。

(7) 第十四回公判調書中証人片山松太郎の供述記載(記録六冊二、六八四丁以下)、第十五回公判調書中同証人の供述記載(同二、七三二丁以下)、第二十一回公判調書中同証人の供述記載(同三、〇三〇の二丁以下)、第四十回公判調書中証人池田幸雄の供述記載(記録十冊四、七〇〇丁以下)、当裁判所の証人中島厚二に対する尋問調書(昭和三十六年十月十四日実施のもの、記録九冊四、二九六丁以下)、片山松太郎作成の昭和二十九年三月十九日付上申書(記録十冊四、六一五丁)、同人作成の同月二十三日付上申書(同四、六二八丁)、同人作成の同年五月十日付上申書(記録六冊二、八〇七丁以下)、片山松太郎、土志田ツヤ子、木村和子作成の同年十月二十一日付上申書(記録八冊三、五八三丁以下)、押収してある諸勘定元帳二冊(前同号の五二・五三)を総合すれば、被告人会社は昭和二十七年五月八日曳船用として機帆船第一力勝丸を金百八万円で購入したが、会社の資金不足のためその代金の内七十万円を前記架空の木村三郎名義の預金(記録八冊三、六五六丁)から、三十八万円を別口現金から各支払い、これを隠蔽するため正規の諸勘定元帳に勝浦漁業協同組合にボート、計器類、ウインチ等を代金百十万円で売却し右金員の入金があつたように架空売上の記載をしていることが認められる。(右架空記載百十万円の売上の精算については後記五に掲載)

(8) 第十四回公判調書中証人片山松太郎の供述記載(記録六冊二、六八四丁以下)、第四十回公判調書中証人池田幸雄の供述記載(記録十冊四、七〇〇丁以下)、当裁判所の証人中島厚二に対する尋問調書(昭和三十六年十月十四日実施のもの、記録九冊四、二九六丁以下)、片山松太郎作成の昭和二十九年三月十九日付上申書(記録十冊四、六一五丁以下)、同人作成の同年五月十日付上申書(記録六冊二、八〇七丁以下)、片山松太郎土志田ツヤ子、木村和子作成の同年十月二十一日付上申書(記録八冊三、五八三丁以下)、押収してある諸勘定元帳一冊(前同号の五二)及び銀行出納帳(同号の六五)を総合すれば、被告人会社は昭和二十七年十月スクラツプ等を吉村商店より二百四万円、橘商店より九十六万円で各仕入れたが、その資金が不足していたため、前記架空預金の木村三郎(記録八冊三、六五六丁)の口座より二百四万円、中村定雄(同三、六八一丁)の口座より九十六万円をそれぞれ支払い、これを隠蔽するため正規の右諸勘定元帳に吉本合名会社に伸鉄材を代金二百九十四万六千六百二十五円で売却し、外に雑収入五万三千三百七十五円があつたように架空の記載をしていることが認められる。(右架空記載三百万円の売上の精算については後記五に掲載)

(9) 第二十三回公判調書中証人小林滝の供述記載(記録七冊三、一二六丁以下)、同人作成の昭和二十九年三月二十三日付上申書(記録七冊三、三四九丁以下)、片山松太郎、土志田ツヤ子、木村和子作成の同年十月二十一日付上申書(記録八冊三、五八三丁以下)、小林滝の検察官に対する供述調書(記録七冊三、三九九丁以下)を総合すれば、被告人会社は昭和二十七年十二月沈没船永安丸購入の交渉を続け、代金が確定しなかつたため、その内金五百万円を大阪事務所の裏預金から仮払いしていることが認められる。

(10) 第二十二回公判調書中証人小林滝の供述記載(記録七冊三、〇七五丁以下)、押収してある船舶経費明細帳(前同号の五九)、営業費明細帳(同号の六〇)、金銭出納帳、得意先帳(同号の六六)、手帳三冊(同号の七四)を総合すれば、被告人会社で購入した解体船鏡城丸に関する作業費五十万円を昭和二十七年五月三十一日大阪事務所の裏預金から支払つていることが認められる。

(11) 第五十二回公判調書中証人池田幸雄の供述記載(記録十二冊五、五八八丁以下)、当裁判所の証人中島厚二に対する尋問調書(昭和三十六年十月十四日実施のもの、記録九冊四、二九六丁以下)、片山松太郎、土志田ツヤ子、木村和子作成の昭和二十九年十月二十一日付上申書(記録八冊三、五八三丁以下)、小林滝作成の同年三月二十三日付上申書(記録七冊三、三四九丁以下)を総合すれば、被告人会社は昭和二十七年九月二十五日救難設備用の明石丸を百七十万円で購入したが、この代金を前記裏預金から支出していることが認められる。

(12) 第二十二回公判調書中証人小林滝の供述記載(記録七冊三、〇七五丁以下)、同人作成の昭和二十八年十二月二十六日付上申書(同三、三五八丁以下)、押収してある手帳三冊(前同号の七四)を総合すれば、被告人会社は昭和二十七年大阪市より当時賃借していた大阪市大正区鶴浜の土地を購入し、その内金五十万円及びこれに関する被告人会社の資金、機密費、出張旅費、交際費等を大阪事務所の裏預金から支払つていることが認められる。

(13) 第十四回公判調書中証人片山松太郎の供述記載(記録六冊二、六八四丁以下)、第二十二回公判調書中証人小林滝の供述記載(記録七冊三、〇七五丁以下)、片山松太郎、土志田ツヤ子、木村和子作成の昭和二十九年十月二十一日付上申書(記録八冊三、五八三丁以下)によれば、以上の横浜、大阪の各裏預金から会社のために支出した金員はいずれも返済されていないことが認められる。

(14) 第二十四回公判調書中証人小林滝の供述記載(記録七冊三、一九〇丁以下)、当裁判所の証人小倉長造に対する尋問調書(記録十二冊五、八四〇丁以下)、小林滝作成の昭和二十九年三月四日付上申書(記録七冊三、三四五丁以下)、片山松太郎、土志田ツヤ子、木村和子作成の同年十月二十一日付上申書(記録八冊三、五八三丁以下)、押収してある諸勘定元帳一冊(前同号の五三)及び銀行出納帳(同号の六五)を総合すれば、被告人会社は昭和二十七年四月取引銀行である三和銀行梅田支店の当座預金から額面千七百万円の小切手を振出し、これを同じく千代田銀行大阪南支店に預入して同額の定期預金を設定し、同銀行から右預金を担保にして現金千七百万円を借入れ、これをもつて三和銀行梅田支店に被告人会社の当座預金を設定し、この預金を担保に同銀行から千七百万円を借入れ、この金を右千代田銀行からの借入金の支払に充当するとともに、同銀行の千七百万円の定期預金を使つて三和銀行梅田支店に同額の無記名預金(裏預金)を作り、これを被告人会社のヴインセント号購入資金借入れの担保の一部に供したものであることが認められる。

(15) 第四十九回公判調書中証人中島厚二の供述記載(記録十二冊五、四四八丁以下)、第五十三回公判調書中証人岩崎鶴蔵の供述記載(同五、六四四丁以下)、押収してある木村三郎名義の貯金通帳一冊(前同号の七三)によれば、被告人会社は査察を受けた翌日の昭和二十八年十一月二十七日裏預金である三菱銀行横浜駅前支店の木村三郎名義の預金九百二十五万二千八百二十五円及び中村定雄名義の預金二百四十三万七百八十四円を各解約し、被告人会社の帝国銀行野毛支店の普通預金口座に預入したことが認められる。

(16) 第十七回公判調書中証人片山松太郎の供述記載(記録六冊二、七五七丁以下)、第十八回公判調書中同証人の供述記載(同二、八五七以下)、第三十二回公判調書中証人岩崎鶴蔵の供述記載(記録八冊三、八〇三丁以下)、第三十五回公判調書中証人山本繁の供述記載(同三、九二六丁以下)、当裁判所の証人岡地広に対する尋問調書(記録三冊一、三八三丁以下)、同中島厚二に対する尋問調書(昭和三十六年十月十二日実施のもの、記録九冊四、〇七九丁以下)、甘糟豊太郎に対する大蔵事務官の質問顛末書(記録八冊三、五〇七丁以下)神奈川税務署長作成の証明書(同三、八三〇丁)を総合すれば、昭和二十四年以来甘糟浅五郎が個人として事業を経営していたものとは認められず、従つて同年以降昭和二十七年分の申告所得税の予定申告、確定申告もなされておらず、いわゆる旧商品、別名義の預金或いは被告人らが甘糟浅五郎の所有であると主張する道具類、機械類については同人の財産税及び富裕税の申告の際除外されており、昭和二十三年頃の主要物資在庫緊急調査令による申告の際に前記各物件を被告人会社名義で申告していることが認められる。

(17) 第三十二回公判調書中証人岩崎鶴蔵の供述記載(記録八冊三、八〇三丁以下)、第五十三回公判調書中同証人の供述記載(記録十二冊五、六四四丁以下)、第四十六回公判調書中証人甘糟豊太郎の供述記載(記録十一冊五、二七八丁以下)、第四十七回公判調書中同証人の供述記載(同五、三一二丁以下)、第二十二回公判調書中証人小林滝の供述記載(記録七冊三、〇七五丁以下)、第二十九回公判調書中同証人の供述記載(記録八冊三、五三八丁以下)、第四十五回公判調書中同証人の供述記載(記録十一冊五、一一七丁以下)、第十三回公判調書中証人片山松太郎の供述記載(記録六冊二、六三六丁以下)、第十八回公判調書中同証人の供述記載(同二八五六丁以下)、第十九回公判調書中同証人の供述記載(同二、九一七丁以下)、第五十六回公判調書中被告人細田重良の供述記載(記録十三冊五、九七六丁以下)、第五十七回公判調書中同被告人の供述記載(同六、〇〇九丁以下)、第四十三回公判調書中証人深沢森秋の供述記載(記録十冊四、九一八丁以下)、同野坂喜代志の供述記載(同四、九六六丁以下)、第九回公判調書中証人宇佐美清三の供述記載(記録五冊二、一九二丁以下)、当裁判所の証人谷内尾弥策に対する尋問調書(記録二冊四三五丁以下)、同重見静夫に対する尋問調書(記録三冊一、一四〇丁以下)、同岡地広に対する尋問調書(同一、三八三丁以下)、同小森清三に対する尋問調書(同一、〇七九丁以下)、同北村福治に対する尋問調書(同一、一一一丁以下)、甘糟浅五郎に対する大蔵事務官の質問顛末書(記録八冊三、五二九丁以下)、片山松太郎、土志田ツヤ子、木村和子作成の昭和二十九年十月二十一日付上申書(同三、五八三丁以下)、甘糟豊太郎作成の提出書添付の登記簿謄本(記録一冊九一丁以下)、押収してある営業費明細帳(前同号の六〇)、現金出納帳(同号の六四)、手帳三冊(同号の七四)を総合すれば、甘糟浅五郎は事業欲の極めて旺盛な人で当初個人として甘糟商店の商号でアルコール、洋酒類の販売業を始めたが、昭和二年洋酒その他の商品の販売、船舶の解体を目的とする甘糟合名会社を設立(昭和二十一年頃解散)してその代表者となり、一方昭和八年船舶の運航等を目的とする株式会社甘糟商店船舶部(昭和十年甘糟産業汽船株式会社と社名変更)を設立して代表者となり、次いで昭和十二年外航船の運航、船舶の解体等を目的とする昭和企業合資会社を設立し、実弟甘糟徳次郎をその代表者に就任させたが、昭和十五年右甘糟産業汽船株式会社において昭和企業株式会社を合併し、海難物の取扱い、汽船の運航、船舶の解体等を目的として営業することになり右浅五郎がその代表者となつたこと、昭和十八年戦時下企業整備の要請に伴い、同社の船舶部門は東洋海運株式会社に吸収合併されるに至つたので、浅五郎は昭和十八年船舶の解撤、救助、船舶の解体遭難貨物の取扱いを目的とする甘糟海事産業株式会社を設立してその代表者となり、更に昭和二十三年船舶の運航を目的とする甘糟汽船株式会社を設立し代表者となつたが、翌昭和二十四年十二月一日右甘糟海事産業株式会社は甘糟汽船株式会社を合併し、同時に甘糟産業汽船株式会社と社名を変更し、浅五郎がその代表者となつたこと、これが被告人会社であるが、その幹部で横浜、東京方面担当重役岩崎鶴蔵、大阪方面担当重役小林滝はいずれも約四十年間、販売、会計担当の被告人細田重良、経理担当の片山松太郎はいずれも約二十年間それぞれ浅五郎の薫陶を受けた子飼の部下であり、株主には浅五郎、その養子豊太郎及びその親族並びに右子飼の部下達がなつて居り、浅五郎は右岩崎、小林、細田らのために、株式の払込金は自ら支出していたこと、浅五郎は昭和二十五年被告人会社の代表取締役を辞任し、養子豊太郎が代表取締役に就任したものの、同人が被告人会社の実情に疎かつたため、浅五郎自ら取締役として従前同様毎日会社に出勤して采配を振るい、その後昭和二十六年十二月二十四日再び右甘糟豊太郎と共に代表取締役となり被告人会社の実権を握つていたが、その性格は非常に強く独裁型の人でやかましく、自ら決めたことは最後までやりとおし、会社の仕事は勿論のこと自己の私用についても誰彼となく社員を使用し、又会社の月給も一応は決まつていたが、社員において金が足りないときは自ら出してやり、盆、暮には自ら五万十万の金を支給していたこと、浅五郎は被告人会社から一定の給与の支給を受けていなかつたが、必要なときはその分を何時でも経理担当者から受け取つており、大阪事務所の裏預金から被告人会社の経費、作業費等を支出していただけではなく、重役岡地広に対する建築費用の貸与、友人の奥井某に対するパチンコ店経営資金等の貸与をしていたこと等がそれぞれ認められ、これらの事実から判断すれば、被告人会社は単なる同族会社ではなく会社と個人とが一体となつて事業を経営している極めて個人企業的色彩の強い同族会社であることが明白である。

(18) 被告人らは前記一の(一)の売上はすべて甘糟浅五郎個人が古くから大阪市大運橋倉庫、横浜市守屋町倉庫その他各作業場等において所有していたいわゆる旧商品を売却したものであると主張し、旧商品に関する一覧表(記録十三冊五、九六七丁以下)なるものを提出しているけれども、当裁判所の証人中島厚二に対する尋問調書(昭和三十六年十月十二日実施のもの、記録九冊四、〇七九丁以下)によれば、旧商品の存在については本件違反事件の査察当初においては何らの主張もなく、査察後約三カ月を経過した昭和二十九年二月頃に至りはじめて主張されたものであり、第三十三回公判調書中証人岩崎鶴蔵の供述記載(記録八冊三、八三二の二丁以下)、第三十六回公判調書中同証人の供述記載(同三、九七九丁以下)、第五十九回公判調書中被告人細田重良の供述記載(記録十三冊六、〇九九丁以下)によれば、右一覧表は被告人細田重良及び岩崎鶴蔵、小林滝の三名が協力し、各自の記憶に基き、取引先の帳簿或は相手方の記憶を斟酌して作成したものであつて、これを裏付ける原始記録即ち領収書、納品書等もなく相手方の証明書もないことが認められる。しかして右一覧表には取引品名、数量、単価等が極めて詳細に記載されているが、昭和十八年からの取引につき、このように多数回に亘り詳細、明確に記憶していたとは一般の経験則上到底信じられないところであり、第四十三回公判調書中証人深沢森秋の供述記載(記録十冊四、九一八丁以下)当裁判所の証人松山恒吉に対する尋問調書(記録九冊四、五六二丁以下)によれば、戦後甘糟浅五郎と取引をした右証人らも、その内容を明確に記憶していないことが認められ、以上の事実から考察し、右一覧表の記載は直ちに信用することができない。仮りに右一覧表記載の物品が存在したとしても、右は甘糟浅五郎個人のものではなく被告人会社の所有と考えざるを得ない。即ち、第四十五回公判調書中証人小林滝の供述記載(記録十一冊五、一一七丁以下)、第五十五回公判調書中同証人の供述記載(記録十三冊五、九三四丁以下)、第二十一回公判調書中証人片山松太郎の供述記載(記録六冊三、〇三〇の二丁以下)、第四十六回公判調書中同証人の供述記載(記録十一冊五、二七二丁以下)、第五十九回公判調書中同証人の供述記載(記録十三冊六、〇九一丁以下)、当裁判所の証人小森清三に対する尋問調書(記録三冊一、〇七九丁以下)、同中野信雄に対する尋問調書(同一、五四一丁以下)、同小山光春に対する尋問調書(同一、二三〇丁以下)、同吉永広瀬に対する尋問調書(同一、三一七丁以下)、同岡地広に対する尋問調書(同一、三八三丁以下)、同島田新吉に対する尋問調書(同一、二二一丁以下)、同斗谷命久に対する尋問調書(同一、二〇二丁以下)、同原東吾に対する尋問調書(同一、二四三丁以下)、同神田利一に対する尋問調書(同一、二六三丁以下)、同北村福治に対する尋問調書(同一、一一一丁以下)、小林滝の検察官に対する供述調書(記録七冊三、三九九丁以下)、押収してある営業費明細帳一冊(前同号の六〇)、仕訳帳一冊(同号の六二)、現金出納帳一冊(同号の六四)、金銭出納帳、得意先帳一冊(同号の六六)を総合すれば、大阪市大運橋倉庫の物品は被告人会社の営業種目である解体船舶の残物が大部分であり、これは被告人会社の全国各地の解体、解撤現場から集めたものであること、倉庫の敷地は被告人会社が大阪市から賃借し、被告人会社が三カ月毎に一万五千二百十円の賃借料を支払つていること、倉庫の水道料、電気料、固定資産税、修繕費等の諸経費を被告人会社において支払つていること、倉庫の監視人の給料を被告人会社において支払つていること、昭和二十九年頃防波堤が出来るまで、被告人会社の船舶が出入りし物品の出し入れをしていたこと、この倉庫から材料を出して昭和二十三年四月頃一号起重機船を昭和二十五年六月頃二号起重機船をそれぞれ建造しながら、その建造費用は被告人会社で負担し、これら各起重機船は被告人会社の仕事をし、これによる収益も被告人会社の収益として計上し、運賃、給料、保険料、鉄プロツク代、ボイラー買受代、船室畳代、船用品等の支払を被告人会社において負担していたこと、右大運橋倉庫にあつたパイプを買つた北村福治は右パイプが甘糟浅五郎個人のものであるとは聞いていないこと等が認められるのであつて、結局右大運橋倉庫に在つた物品は被告人会社の所有に属するものと解せられる。次に第十一回公判調書中証人開島義明の供述記載(記録五冊二、四六三丁以下)、第十二回公判調書中証人小林留次郎の供述記載(同二、五六四丁以下)、甘糟浅五郎に対する大蔵事務官の質問顛末書(記録八冊三、五二九丁以下)を総合すれば、横浜市神奈川区守屋町所在の倉庫は被告人会社の取締役である甘糟徳次郎個人の名義になつているのに、昭和二十四年夏頃三ツ輪煉炭株式会社に右倉庫を代金百五十万円で売却するに当り、その交渉は被告人会社の取締役である岩崎鶴蔵が一切担当し、右倉庫内には被告人会社の営業種目である船舶の解体品が大部分入つていたこと、甘糟浅五郎自身「守屋町倉庫には戦後一、二年金物や布地があり、この買入資金が会社のものか個人のものか判らないが千万円位以上のものであり、ブローカーを相手に売却し、この代金を会社につぎこんだ」旨述懐していたこと等が認められ、これらの事実から右守屋町倉庫の物品も被告人会社の所有であると解せられる。更に第二十一回公判調書中証人片山松太郎の供述記載(記録六冊三、〇三〇の二丁以下)、当裁判所の証人山本明に対する尋問調書(記録三冊一、七〇七丁以下)、同中本徳一に対する尋問調書(同一、七一二丁以下)、同渡辺栄に対する尋問調書(同一、五九〇丁以下)、同浜田末一に対する尋問調書(同一、六四八丁以下)、同中野豊に対する尋問調書(同一、六三〇丁以下)、新藤貞次郎の検察官に対する供述調書(記録四冊二、一七一丁以下)、小林留次郎の検察官に対する供述調書(記録五冊二、六一三丁以下)、中野豊の検察官に対する供述調書(記録四冊二、一六二丁以下)、押収してある納付書一枚(前同号の四九)、作業経費元帳二冊(同号の五六、五八)、船舶経費明細帳一冊(同号の五九)、昭和二十五年度、昭和二十六年度法人税額申告書、決算書及び決議書綴各一冊(同号の八二、八三)を総合すれば、フエツクス号、呉淞号、朝日丸、大北丸、大和艦はいずれも戦時中被告人会社が軍からの委嘱により解体を引受け戦後はその払下を受けたもので昭和二十五年ないし昭和二十七年度においても引続き右フエツクス号、呉淞号、朝日丸、大北丸については解体作業を実施し、被告人会社において、旅費、工員の給料、厚生費、工事場の地代、火薬使用承認料等を支払つていることが認められ、当裁判所の証人吉永忠勇に対する尋問調書(記録五冊二、三二六丁以下)、同島仁左に対する尋問調書(同二、三八〇丁以下)、押収してある雑記帳三冊(前同号の八〇)によれば、神武丸は昭和十八年頃被告人会社の前身である甘糟海事産業株式会社と田中商店とが共同出資し、島仁左名義を以て大正海上火災から代金三万五千円位で購入し、昭和二十五年当時は被告人会社の船舶としてその解体品が処分されていることが認められる。以上のとおり前記各船舶は戦争中から本件査察当時まで、いずれも被告人会社が軍の委嘱により、或いは自己所有のものとして解体、解撤して来たものであるから、軍に納入した以外の解体品が被告人会社の所有であることは明らかである。第四十五回公判調書中証人小林滝の供述記載(記録十一冊五、一一七丁以下)によれば、同証人は右大北丸は被告人会社が甘糟浅五郎に代物弁済した旨供述し、第三十六回公判調書中証人岩崎鶴蔵の供述記載(記録九冊三、九七九丁以下)、第四十二回公判調書中証人石原源之郎の供述記載(記録十冊四、八〇二丁以下)によれば、同証人らは朝日丸、フエツクス号、大北丸の解体残品は終戦後海軍艦政本部の池田少佐から甘糟浅五郎個人が貰い受けたものである旨供述しているけれども、右各供述は前記証拠と対比して信用できないし、又終戦後一係官が解体残品を個人に贈与したということは俄かに納得できないところである。次に、第三十六回公判調書中証人岩崎鶴蔵の供述記載(記録九冊三、九九七丁以下)、第四十二回公判調書中証人岡地正康の供述記載(記録十冊四、八四一丁以下)、当裁判所の証人松山恒吉に対する尋問調書(記録九冊四、六五二丁以下)、同岩崎鶴蔵に対する尋問調書(記録十冊五、〇六九丁以下)、第五十六回公判調書中被告人細田重良の供述記載(記録十三冊五、九七六丁以下)、第五十八回公判調書中同被告人の供述記載(同六、〇五〇丁以下)、同被告人に対する大蔵事務官の昭和二十九年十一月十七日付質問顛末書(記録十四冊六、二二四丁以下)、甘糟豊太郎作成の提出書添付の登記簿謄本(記録一冊一〇八丁以下)、押収してある諸勘定元帳一冊(前同号の五五)、昭和二十七年度法人税額申告書、決算書及び決議書綴一冊(同号の八四)を総合すれば、被告人会社の目的の中には反物類の販売そのものはないが、被告人会社は昭和二十七年一月二十一日亀井商店に対し反物類(ヌレスフ)三百十五反を代金三十四万六千百円で売却していること、昭和二十一年五月十九日会社の目的を変更し、船舶解体等の外に新に漁業を追加していること、昭和二十一、二年頃被告人細田重良は甘糟浅五郎の命を受け福井に羽二重を売りに行つていること、甘糟浅五郎がマニラロープ、ワイヤーロープ等を売却し鰯のたまかす、いかの一ぱい漬、塩辛等を買入れていること、終戦後昭和二十四年頃まで被告人会社の事務所は右浅五郎の横浜市内妙蓮寺の自宅にあつたこと等が認められ、これらの事実から判断すれば、一覧表記載の羽二重、綿布等の反物類或は塩辛、イクラ、混布、丸干等の水産物も被告人会社の商品と推認される。

(三)  以上(二)の(1)ないし(18)において認定した事実及び本件記録に顕れた一切の事情を総合して判断すれば、前記(一)記載の架空名義等を以てする帳簿外の売上は甘糟浅五郎個人が昔から所有していたいわゆる旧商品を売上げたものとは到底認められず、右売上はすべて被告人会社所有の非鉄金属、鉄屑等の売上で、これを基本とする裏預金も又被告人会社の預金であると断定せざるを得ない。

二、雑収入計上洩(金百七十三万五百六十四円)

(一)  前記一において認定のとおりいわゆる裏預金は被告人会社の預金であるから、これから生ずる利子は当然被告人会社の所得に帰するところ、第十五回公判調書中証人片山松太郎の供述記載(記録六冊二、七三三丁以下)、第十七回公判調書中同証人の供述記載(同二、七五七丁以下)、当裁判所の証人中島厚二に対する尋問調書(昭和三十六年十月十四日実施のもの、記録九冊四、二九六丁以下)、片山松太郎、土志田ツヤ子、木村和子作成の昭和二十九年十月二十一日付上申書(記録八冊三、五八三丁以下)、小林滝作成の昭和二十八年十二月二十六日付上申書(記録七冊三、三五八丁以下)、押収してある総勘定元帳一冊(前同号の五一)、諸勘定元帳一冊(同号の五五)、仕訳帳一冊(同号の六二)を総合すれば、被告人会社は別表第二のとおり裏預金に対する預金利子合計金三十六万七千九百二十四円を被告人会社の正規の帳簿に記載せず、これを脱漏していることが認められる。(前記片山松太郎外二名作成の上申書記録八冊三、五九二丁別表第二1の関係、同三、六〇二丁同表2の関係、同三、六一〇丁同表3の関係、同三、六四三丁同表4の関係、同三、六六二丁同表5の関係、同三、六六五丁同表6の関係、同三、六八六丁同表7の関係、同三、六二〇丁同表8の関係、同三、六三四丁同表9の関係、同三、六三九丁同表10の関係、同三、六七五丁同表11の関係、同三、六七七丁同表12の関係、同三、六九七丁同表13の関係)

(二)  第十四回公判調書中証人片山松太郎の供述記載(記録六冊二、六八四丁以下)、当裁判所の証人中島厚二に対する尋問調書(昭和三十六年十月十四日実施のもの、記録九冊四、二九六丁以下)、片山松太郎作成の昭和二十九年四月二十七日付上申書(記録十冊四、六二一以下)、片山松太郎、土志田ツヤ子、木村和子作成の昭和二十九年十月二十一日付上申書(記録八冊三、五八三丁以下)、押収してある諸勘定元帳一冊(前同号の五五)によれば、前記のとおり、被告人会社は昭和二十七年十月二十二日米海軍横須賀基地における鉄屑の公売入札に参加して落札したところ、その権利を千代田商事株式会社の懇請により同会社に対し代金三百万円で譲渡し、内金百二十万円を受領したが、右会社が期日までに残代金の支払をしなかつたため約束により右金百二十万円を被告人会社において没収し、雑収入として処理したに拘らず、これを被告人会社の正規の帳簿に記載せず、裏預金である三菱銀行横浜駅前支店関一の口座に預金していることが認められる。(記録八冊三、六六五丁)

(三)  片山松太郎作成の昭和二十九年三月九日付上申書(記録六冊二、八二三丁以下)、片山松太郎、土志田ツヤ子、木村和子作成の同年十月二十一日付上申書(記録八冊三、五八三丁以下)、押収してある諸勘定元帳一冊(前同号の五五)によれば、被告人会社は昭和二十七年八月六日裏預金から金二百万円を東京白煉瓦株式会社に貸与し、同年九月八日その返済を受けた際利息として金六万円を受領しながら、これを被告人会社の正規の帳簿に記載せず、裏預金である三菱銀行横浜駅前支店木村三郎の口座に預金していることが認められる。(記録八冊三、六六二丁)

(四)  片山松太郎、土志田ツヤ子、木村和子作成の昭和二十九年十月二十一日付上申書(記録八冊三、五八三丁以下)、押収してある諸勘定元帳一冊(前同号の五五)によれば、被告人会社は昭和二十七年五月二日東洋海事からボラード損料金二千六百四十円を受領しながら、これを被告人会社の正規の帳簿に記載せず、裏預金である前記木村三郎の口座に預金していることが認められる。(記録八冊三、六六二丁)

(五)  小林滝作成の昭和二十八年十二月二十六日付上申書(記録七冊三、三五八丁以下)、片山松太郎、土志田ツヤ子、木村和子作成の昭和二十九年十月二十一日付上申書(記録八冊三、五八三丁以下)、押収してある諸勘定元帳一冊(前同号の五五)手帳三冊(同号の七四)によれば、被告人会社は昭和二十七年十月三十一日乙島丸口銭として金十万円を受領していながら、これを被告人会社の正規の帳簿に記載せず脱漏していることが認められる。

(六)  以上(一)ないし(五)の合計金百七十三万五百六十四円が被告人会社の雑収入と認められるところ、被告人会社は正規の帳簿に記載せず、脱漏している。

三、作業経費計上洩(金四千二百七十八万五百五円)

第十七回公判調書中証人片山松太郎の供述記載(記録六冊二、七五七丁以下)、第二十回公判調書中同証人の供述記載(記録六冊二、九八二丁以下)、第二十九回公判調書中証人小林滝の供述記載(記録八冊三、五三五丁以下)、当裁判所の証人中島厚二に対する尋問調書(昭和三十六年十月十四日実施のもの、記録九冊四、二九六丁以下)、片山松太郎、土志田ツヤ子、木村和子作成の昭和二十九年十月二十一日付上申書(記録八冊三、五八三丁以下)、片山松太郎作成の同年二月二日付上申書(記録十冊四、六五二丁以下)、同人作成の同年三月三日付上申書(記録六冊二、八一五丁以下)、同人作成の同年四月二十六日付上申書(記録十冊四、六六〇丁以下)、同人作成の同月二十七日付上申書(同四、六二一丁)、岩崎鶴蔵、片山松太郎作成の同月十九日付上申書(同四、六三二丁以下)、同人ら作成の同年五月十日付上申書(同四、六四一丁以下)、小林滝作成の昭和二十八年十二月二十六日付上申書(記録七冊三、三五八丁以下)、同人作成の昭和二十九年三月二十三日付上申書(同三、三四九丁以下)、同人作成の同年五月十日付上申書(同三、三九三丁以下)、押収してある納付書一枚(前同号の四九)、総勘定元帳二冊(同号の五〇、五一)、作業費元帳三冊(同号の五六ないし五八)、船舶経費明細帳一冊(同号の五九)、仕訳帳一冊(同号の六二)、手帳三冊(同号の七四)を総合すれば、被告人会社は昭和二十七事業年度において、別表第三のとおり、解体船、鉄屑等を代金合計三千六百九十五万七千二百四十八円で購入して、代金の大部分を前記裏預金及び別口現金をもつて支払い、更に解体用火薬代、海事会社に対する引揚代、運賃等合計金五百八十二万三千二百五十七円を右裏預金より支払つたに拘らず、いずれもこれを正規の帳簿に記載せず脱漏していることが認められる。(別表第三の1の関係右片山松太郎、土志田ツヤ子、木村和子作成の上申書記録八冊三、六二四丁、同表2の関係同記録三、六〇六丁、同表3、8の関係同記録三、五八七丁、同表4、5、6、9、14、16の関係同記録三、六五〇丁、同表7、10、11、12、13、21の関係同記録三、六九七丁及び小林滝作成の昭和二十八年十二月二十六日付上申書記録七冊三、三五八丁以下、同表15の関係記録八冊三、六九五丁及び小林滝作成の昭和二十九年三月二十三日付上申書記録七冊三、三四九丁、同表17、20の関係片山松太郎作成の昭和二十九年四月二十七日付上申書記録十冊四、六二一丁、同表18の関係右片山松太郎外二名作成の上申書記録八冊三、六五六丁、同表19の関係同記録三、六八一丁)、なお作業経費の総額は右片山松太郎、土志田ツヤ子、木村和子作成の昭和二十九年十月二十一日作成の上申書添付の別口銀行預金仕訳元帳中の高橋勇次(記録八冊三、五八七丁)、興津富次(同三、六〇六丁)、尾上豊子(同三、六一四丁)、清水つる(同三、六二四丁)、木村三郎(同三、六五〇丁)、関一(同三、六六六丁)の各口座の作業費合計二千百三万六千四百九十六円、大阪現金勘定の作業費三百三十万円(同三、六九五丁)、大阪勘定試算表の仕入、作業費四百六十二万九千五百九十六円(同三、六九七丁)、木村三郎(同三、六五六丁)口座の仮払金勘定中の二百四万円、中村定雄(同三、六八一丁)口座の仮払金勘定中の九十六万円及び片山松太郎作成の昭和二十九年四月二十七日作成の上申書(記録十冊四、六二一丁以下)中横須賀基地関係支払の三百六十万円と七百二十一万四千四百十三円の合計であり、これより別表第三の仕入の総額を差引いた差額五百八十二万三千二百五十七円が仕入以外の作業経費である。

四、営業費計上洩(金五百二十一万六千八百三十七円)

第十七回公判調書中証人片山松太郎の供述記載(記録六冊二、七五七丁以下)、第二十九回公判調書中証人小林滝の供述記載(記録八冊三、五三五丁以下)、当裁判所の証人中島厚二に対する尋問調書(昭和三十六年十月十四日実施のもの、記録九冊四、二九六丁以下)、岩崎鶴蔵、片山松太郎作成の昭和二十九年四月十九日付上申書(記録十冊四、六三二丁以下)、同人ら作成の同年五月十日付上申書(同四、六四一丁以下)、片山松太郎作成の同年三月二十三日付上申書(記録六冊二、八三〇丁以下)、同人作成の同年二月二日付上申書(記録十冊四、六五二丁以下)、片山松太郎、土志田ツヤ子、木村和子作成の同年十月二十一日付上申書(記録八冊三、五八三丁以下)、小林滝作成の昭和二十八年十二月十一日付上申書(記録七冊三、四一八丁)、同人作成の同月二十六日付上申書(同三、三五八丁以下)、同人作成の昭和二十九年五月十日付上申書(同三、三九三丁以下)、押収してある総勘定元帳一冊(前同号の五〇)、船舶経費明細帳一冊、(同号の五九)、営業費明細帳一冊(同号の六〇)、仕訳帳一冊(同号の六二)、手帳三冊(同号の七四)、を総合すれば、被告人会社は昭和二十七事業年度において、合計金五百二十一万六千八百三十七円を得意先、漁業協同組合等に対し、交際費等として支払つているがこれを被告人会社の正規の帳簿に記載せず脱漏していることが認められる。「右片山松太郎、土志田ツヤ子、木村和子付上申書添付の別口預金仕訳元帳中、三菱銀行横浜駅前支店高橋勇次(記録八冊三、五九〇丁)、同興津富次(同三、六〇四丁)、同甘糟浅五郎(同三、六〇九丁)、同銀行大森支店尾上豊子(同三、六一九丁)、横浜興信銀行妙蓮寺支店清水つる(同三、六二六丁)、第一銀行横浜駅前支店興津三郎(同三、六三五丁)、三菱銀行横浜駅前支店木村三郎(同三、六五一丁)の各口座の営業費及び大阪現金勘定の営業費(同三、六九二丁)の合計金六十一万八千百二十四円、大阪勘定試算表における営業費三百九万六千二百二十二円(同三、六九七丁)、営業費として支出したものと認められる右尾上豊子(同三、六一七丁)、興津三郎(同三、六三六丁)、木村三郎(同三、六六一丁)の各口座の不明出金の合計金四十九万二千四百九十一円及び他に営業費として支出したものと認められる百一万円の総計金五百二十一万六千八百三十七円が脱漏営業費である。」

五、売上計上洩中会社の帳簿に計上していることが判明したもの(金四百十万円)

前記一の(二)(7)、(8)記載のとおり前記一の(一)記載の計上洩として算出せられた売上金のうち、昭和二十七年五月八日勝浦漁業協同組合に対する売上金百十万円、同年十月八日吉本合名会社に対する売上金三百万円はそれぞれ被告人会社の諸勘定元帳に計上していることが明らかである。

六、減価償却費計上洩(金十二万八千六十六円)

前記一の(二)(11)記載のとおり、被告人会社は昭和二十七年九月二十五日救難設備船明石丸を購入したが、第五十二回公判調書中証人池田幸雄の供述記載(記録十二冊五、五八八丁以下)、当裁判所の証人中島厚二に対する尋問調書(昭和三十六年十月十四日実施のもの、記録九冊四、二九六丁以下)、押収してある総勘定元帳一冊(前同号の五一)、諸勘定元帳一冊(同号の五三)によれば、被告人会社は右明石丸を正規の帳簿に記載せず、従つてこれに対する減価償却費十二万八千六十六円を脱漏していることが認められる。

(脱税額の算定)

以上認定したところより、前記一の売上脱漏金九千四百五十七万二千四百二十一円及び二の雑収入脱漏金百七十三万五百六十四円の合計金九千六百三十万二千九百八十五円が被告人会社の昭和二十七事業年度の法人税額申告より脱漏した収益であり、三の作業費脱漏金四千二百七十八万五百五円、四の営業費脱漏金五百二十一万六千八百三十七円、六の減価償却費脱漏金十二万八千六十六円の合計金四千八百十二万五千四百八円が被告人会社の昭和二十七事業年度の法人税額申告より脱漏した損金である。右損金と五の売上脱漏金中より会社帳簿に計上した金四百十万円の合計金五千二百二十二万五千四百八円を右脱漏収益から差引いた残金四千四百七万七千五百七十七円が右昭和二十七事業年度の法人税額申告から脱漏した所得(犯則所得)であり、右により被告人会社の同年度における脱税額を計算すれば次のとおりである。

申告所得金額三百七十九万四千二十八円に右脱漏所得四千四百七万七千五百七十七円を加算した四千七百八十七万千六百円(端数計算法により百円未満切捨)が正当の所得金額であり、右四千七百八十七万千六百円に本件違反当時における法人税法所定の税率百分の四十二を乗じて得たる二千十万六千七十円が被告人会社の納付すべき法人税額であつたのである。従つて右正当の税額二千十万六千七十円から当時申告した法人税額百五十九万三千四百八十円を差引いた残額千八百五十一万二千五百九十円が右事業年度における被告人会社の脱税額になる。

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人は被告人会社の昭和二十七事業年度における所得の算定に当り次の一ないし三にかかげるものはすべて損金として減算さるべきものである旨主張するのでこの点につき順次判断する。

一、期首棚卸計上洩について

被告人会社は昭和二十七事業年度における当初の法人税額申告に際し、期首棚卸額を五千七百三十七万九千三百七十四円として申告したが、被告人会社の昭和二十六事業年度の法人税額更正処分に対する取消訴訟において、国税局は同年度の期末棚卸額は右金額に百九十九万千百七十三円を加算した五千九百三十七万五百四十七円が正当な棚卸額であることを認めている。従つて右加算された金額は昭和二十七事業年度の所得の算定に当り当然減算さるべき筋合のものであるところ、検察官はこれを無視しているから、右金額を損金として認容すべきであると謂うのであるが、第四十回公判調書中証人池田幸雄の供述記載(記録十冊四、七〇〇丁以下)、答弁書(弁第五号証記録十一冊五、一九六丁以下)、押収してある昭和二十六年度及び昭和二十七年度法人税額申告書、決算書及び決議書各一冊(昭和三十一年押第四九八号の八三、八四)によれば、被告人会社は海防艦ルーベンス号、起重機船、軍用船初霜等の解体、作業に使用した作業経費のうち、昭和二十六事業年度の期末棚卸額に加算すべき合計金二百四万五千四百七十三円を右棚卸の金額に含めていなかつたため、税務当局は昭和二十七事業年度における期首棚卸計上洩として右金二百四万五千四百七十三円を認容し、これをいわゆる犯則所得以外の所得から控除していることが認められる。しかして右各証拠によれば、右計上洩棚卸額は被告人会社の正規の帳簿によつて計算上明らかになつたものであるから、これについては犯意があつたものとは認められず、従つてこれを犯則所得から控除すべきものではないとして犯則所得以外の所得から控除した税務当局の措置は妥当であつて、この点についての弁護人の主張は理由がない。

二、起重機船の減価償却費計上洩について

被告人会社においては昭和二十三年に第一号起重機船を昭和二十五年に第二号起重機船を、更に昭和二十七年に第七十八号起重機船をそれぞれ建造したが、これらはいずれも被告人会社の帳簿に記載されず、従つて昭和二十七事業年度の法人税額の申告に際しても右各起重機船の減価償却費は計上されていないので、右減価償却費は当然損金として認容さるべきものであると謂うのであるが、第六十四回公判廷における証人片山松太郎の証言(記録十四冊六、五〇七丁以下)押収してある諸勘定元帳一冊(前同号の五三)、営業費明細帳一冊(同号の六〇)によれば、弁護人主張の右第一号起重機船は第二号起重機船として、弁護人主張の第二号起重機船は第三号起重機船として被告人会社の帳簿に記載され、正当な減価償却がなされていることが明らかである。同証人片山松太郎は右各起重機船は被告人会社と甘糟浅五郎の共有であり、右帳簿には被告人会社の持分についてのみ記載したものであつて右起重機船を被告会社の単独所有とみるのであれば、個人の持分についての減価償却費をも損金として計上すべきである旨供述しておるけれども、右帳簿には共有の記載はなく、前記一の(二)の(18)において認定のとおり、右各起重機船の建造費、乗組員に対する給料、保険料、船用品等に対する諸経費はすべて被告人会社において負担し、各起重機船は被告人会社の仕事をなし、これによる収益もすべて被告人会社の収益として計上され、甘糟浅五郎に対し、収益の分配或は使用料等何ら支払われていないし、又右各起重機船の価額が帳簿記載の価額より遙かに高価であることを肯認するに足る証拠はなく、以上の事実より考察すれば、弁護人主張の第一、二号各起重機船はいずれも被告人会社の単独所有でありその減価償却は正当になされているものと認めざるを得ない。次に右証人は前記公判廷において昭和二十七年度中に第七十八号起重機船を建造した旨供述しておるけれども、片山松太郎、土志田ツヤ子、木村和子作成の昭和二十九年十月二十一日付上申書(記録八冊三、五八三丁以下)押収してある諸勘定元帳四冊(前同号の五二ないし五五)によれば、右起重機船の建造費は当時被告人会社及び裏預金からは支出されておらず、右建造を裏付ける設計書、注文書、領収書等も何一つなく、却つて右起重機船は昭和二十八年度から被告人会社の帳簿に記載していることが認められ、これらのことを総合して考えれば第七十八号起重機船が昭和二十七年度に建造されたものとは到底認められない。従つて弁護人のこの点についての主張は理由がない。

三、法人事業税、未払利子税の損金算定について、

昭和二十六事業年度における所得額に対する法人事業税及び同年度の法人税に対する利子税に各相当する金額は、昭和二十七事業年度における所得の算出に当り、当然損金として認めらるべきものであるところ、被告人会社は昭和二十六事業年度の所得についても税務当局の査察を受け、その結果昭和三十年五月に至り高額の更正処分を受けたものである。従つて、昭和二十六事業年度の確定申告額以外の更正処分により増額された高額の所得に対応する法人事業税及び右増額された所得に対応する法人税の未払利子税に各相当する金額は、昭和二十七事業年度の確定申告に計上されていないことは当然であるから、右各税に相当する金額は昭和二十七事業年度の所得の算定に当り当然減算さるべきであると主張する。

そこで法人税等の更正、決定通知書(弁第七号証、記録十一冊五、二一五丁)を検討して見ると、昭和三十年五月芝税務署長は被告人会社の昭和二十六事業年度の所得金額を二千九百四十九万六千八百円、これに対する法人税額を千三十四万二千二百四十円と更正したことが認められる。従つて右所得金額に対する百分の十二の税率による法人事業税が三百五十三万九千六百十円(端数切捨)となることは計算上明らかであり、これから既に納付した百十八万四千七百六十五円を差引いた残額二百三十五万四千八百四十五円に相当する金額が昭和二十七事業年度の収益から損金として減算すべきものであるところ、第四十回公判調書中証人池田幸雄の供述記載(記録十冊四、七〇〇丁以下)によれば、右金額は本件犯則所得以外の所得から損金として既に控除していることが認められ、且つその措置は相当であると解せられる。次に、法人税の利子税に相当する金額は損金と認められるが、右は現実に利子税が納付された年度における損金として処理すべきであると解せられるところ、被告人会社において、昭和二十七事業年度中に右利子税を納付したことを認め得る証拠は全然ない。従つて右利子税額を所得額より控除すべきであるとの弁護人の主張も理由がない。

(被告人細田重良の責任について)

前記一の(二)(17)において認定のとおり、被告人細田重良、小林滝、片山松太郎らはいずれも甘糟浅五郎の子飼の部下であり、第四十七回公判調書中証人甘糟豊太郎の供述記載(記録十一冊五、二七八丁以下)によれば、被告人細田重良及び小林滝は実直な人柄のため浅五郎の信任が特に厚かつたことが認められる。前記一の(一)、一の(二)の(1)各掲記の証拠によれば、被告人会社は昭和二十六年頃解体用外国船の輸入を計画し、その購入資金を銀行から融資を受ける際担保に供する目的のもとに被告人細田重良、小林滝らが相謀り別名義の売上を始め右別名義売上のうち、東京、横浜方面については被告人会社の営業、会計担当の被告人細田重良が、大阪方面については大阪事務所所長小林滝がそれぞれ担当し、その売上についての納品書は片山松太郎が、代金領収書は右同人或いは被告人細田重良が作成し、集金は殆んど被告人細田重良が担当し、右売上を記帳した得意先帳四冊(前同号の六七ないし七〇)及び右売上を預金した架空名義の預金通帳を保管し、右預金を大阪事務所に送金後は右通帳を破棄していたことが認められる。又第二十二回公判調書中証人小林滝の供述記載(記録七冊三、〇七五丁以下)によれば、大阪方面の別名義売上を担当した小林滝は右被告人細田重良から送金された金員を三和銀行梅田支店に無記名預金をし、別口売上及び右裏預金の出入を記載した手帳三冊(前同号の七四)を保管していたことが認められ、更に第十三回公判調書中証人片山松太郎の供述記載(記録六冊二、六三六丁以下)、第十七回公判調書中同証人の供述記載(同二、七五七丁以下)同人の検察官に対する昭和三十一年一月十一日付供述調書(同二、八三二丁以下)によれば、被告人会社の経理担当の片山松太郎は右裏預金のあることを知つており、同人は被告人会社の昭和二十七事業年度の法人税確定申告書を作成して横浜中税務署に提出するに際し、予め社長である甘糟豊太郎や甘糟浅五郎、被告人細田重良らに口頭で右申告の内容を報告したことが認められる。以上の事実を総合すれば、被告人細田重良は小林滝らと共謀の上、不正行為により本件の法人税を逋脱したものといわなければならない。

(法令の適用)

被告人細田重良の判示所為は昭和四十年法律第三四号附則第十九条により、同法律による改正前の法人税法第四十八条第一項、罰金等臨時措置法第二条第一項、刑法第六十条に該当するから所定刑中懲役刑を選択し、その刑期範囲内で同被告人を懲役六月に処し、諸般の情状を考慮し、刑の執行を猶予するのを相当と認め、同法第二十五条第一項を適用してこの裁判確定の日から二年間右刑の執行を猶予し、被告人甘糟産業汽船株式会社については、使用人たる被告人細田重良らが被告人会社の業務に関し本件違反行為をしたものであるから、右法律第三四号による改正前の法人税法第五十一条第一項、第四十八条第一項を適用し、その所定罰金額の範囲内で被告人会社を罰金五百万円に処し、訴訟費用は刑事訴訟法第百八十一条第一項本文に従い、証人池田幸雄に対し昭和三十九年五月十二日支給した分を除きその余は全部被告人両名の負担とする。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 斎藤欽次 裁判官 青山惟通 裁判官 千葉庸子)

別表第一

〈省略〉

別表第二

〈省略〉

別表第三

〈省略〉

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